2021年9月8日 18時30分から21時。
昂りが私の手足を震わせた。
舞台『検察側の証人』を観た。
主演、小瀧望。
恥ずかしながら、文学に疎い私はこの超有名サスペンスを知らなかった。
それゆえ観劇前に小説なり戯曲なりを読み予習してからいこうかとも思ったが、小瀧さんが各媒体で“知らずに来ても面白い”と発信してくれていたため、公式サイトに掲載されているあらすじだけを頭の片隅に、世田谷パブリックシアターに向かった。
世田谷パブリックシアターといえば、今からおよそ10ヶ月前。私はこの場所で ジョン・メリック に出逢い、小瀧望 という名の、とんでもない俳優を知った。
1年足らずで帰ってきたこの場所で 今度はどんな世界が見られるのか、どんな小瀧望が待っているのか。私がどれだけ高揚していたのかは、言うまでもない。
著者 アガサ・クリスティ が自身で気に入っていると言うのも大納得のストーリー。ラスト数分の大どんでん返しは身をのけぞってしまうほどの面白さだった。
でも、ストーリーだけじゃない。
この作品は、舞台で観るからこそ面白い。
以下で感想を綴りたい。推察でも考察でもない、ひとりの観劇者の感想。
観劇前に購入したパンフレット。
ネタバレに怯えながら開いてみると、相関図や法律用語が掲載されたページがあった。
法律や裁判に詳しくない、いや、無知と言っても過言ではない私にとってはありがたい情報で、ネタバレになり得る箇所には「ネタバレ注意!」の注意書きを施してくれていた。やさしい。
おかげでネタバレは踏まずに済んだし、観劇後に目を通して うひょ〜 となった。やさしい。
私は最後の最後まで、7割、レナード・ボウルの無罪を信じていた。
たまに顔を出す口の悪さや冷徹さ、落ち着きのなさが気にならなかったわけではない(し、それらが有罪を疑う3割の要素になっていたのも事実だ)が、それ以上にレナードの素朴さ、純粋さを「信じたい」という気持ちが相当大きくなっていた。
なぜか。
まず第一に、事務所を訪ねてきたローマインの怪しさ。
「ときどき思うんです、男って、バカな生き物だなって。」
「こちらの方ってずいぶん偽善者なのね。」
「レナードが私に言わせたかったのはこれでしょ?」
「あの人は私の主人ではありません。」
「感謝の気持ちも、長くなるとうんざりしてくるものです。」
怪しすぎるでしょう!!(大声)
レナードに既婚者であるということを黙ったまま結婚の契りを交わした女の何を信じろと…?「レナードの愛を、なんで… どうして…!!」と、全観客が拳を握りしめていたでしょう…(言い過ぎ)
第二に、検事の尋問の強引さ、そしてすべての検察側の証人の証言の曖昧さと、物的証拠に基づいた不審さ。
冒頭でマイアーズ検事は誘導尋問が常套手段であると述べられていたし、現に私が(ただの観客でありながら)陪審員として立ち会ったこの裁判でもウィルフリッドに何度も異議を申し立てられ、裁判長もその都度それを認めていた。
〝なんとかしてレナードを犯人に仕立て上げたいんだな… 目的が“裁判に勝つこと”になってないかマイアーズ…〟と思わざるを得ない裁判。(観客がそう思うことすら アガサ・クリスティの手の内だったのだろう。というか、彼女は観客がそう思うようにレールを敷いたのだろう。まんまとやられましたよ本当に…)
ハーン警部、ワイアット博士、ジャネット・マッケンジー、そして、ローマイン・ボウル。(ボウルじゃないけどボウルと呼ばせてくれ…!(泣)頼む…!!(泣))検察側の証人たちは皆、発言の矛盾点をウィルフリッドに突っ込まれては訂正していて、物的証拠ではなく曖昧な記憶や先入観に基づいた発言が目立った。
そこにマイアーズ検事の度重なる誘導尋問と来たもんだ。そりゃ疑いの目だって強くなる。
“家の中にいたレナードがフレンチさんを殺したにもかかわらず、外から侵入した強盗殺人に偽造工作したのだ”
そう訴える彼らの元には、なんの物的証拠もない。
ハーン警部が訴えた外側に散ったガラスの破片だって、事件当日は風が吹いていたという事実から内側から工作したことの証拠にはならなかったし、強盗事件であればほとんど必ず手袋をはめているという証言から、レナードの指紋が残っていたことはむしろ彼が犯人ではないことの裏付けにさえなっていた。もはやこの証言のおかげ(せい)で、“ローマインは手袋をはめていた、よな…?”と、別人に疑いの目が向き…
ワイアット博士の喚問では、打撲の位置から、(断定はできずとも)犯人が左利きである可能性、女性である可能性が浮かび上がった。
そこで登場する、ジャネット・マッケンジー。
彼女は右手に持つべき聖書を左手で持った。廷吏に右手で持つよう指摘されても、少しの間納得がいかない様子まで見せた。つまり彼女は、左利きの女なのである。ワイアット博士の喚問で浮かび上がった可能性の双方を満たした人物なのである。
加えて彼女は自分が聞いた声だけを信じて敵意むき出しでレナードを犯人だと訴え続けるし、遺言が書き換えられる前はフレンチさんの遺産は彼女に託されることになっていたし、これだけあの声は絶対にこの男だと主張しているのに実は補聴器が必要なほどの聴力で…
話を聞けば聞くほど発言の信憑性のなさや殺害動機が浮き彫りになっていった。
レナードのジャケットを鑑定したクレッグも、実際血痕は片袖にしかついていなかったのに「両袖口に血痕が認められた」との発言。ウィルフリッドに指摘され訂正はしていたものの、この曖昧さに多少なりとも不信感を抱いてしまうのも無理はない。
これだけ検察側に不信感を募らせた頃、マイアーズ検事が発した恐ろしく信じ難い宣言。
「ローマイン・ハイルガーさんを喚問します。」
法廷のざわめき。客席(傍聴席)の動揺。
舞台と客席がまったくもって二分していない、まるで本当の法廷かのような一体感。痺れた。
ただ前を向いて堂々と宣誓するローマインと、現実を受け止めきれずにいるレナード。
ローマイン、手袋、してる……(小声)
何も知らないレナードの前で、レナードとの結婚は無効であると(物的証拠に基づいて)言い放ち、この殺人事件はレナードによる犯行であると証言し、挙げ句の果てに「彼を愛したことは一度もありません。」と、なんとも残酷な一言を、悪びれる素振りもなく…
私の感情は完全にレナードに移入していた。
ローマインもクレッグ同様、「両袖を洗った」という証言をウィルフリッドに突っ込まれて訂正をかけているし、はじめは警察にまったく異なる証言をして一度でもレナードを守ろうとした事実がある。
ウィルフリッドの言うように、彼女の記憶を当てにはできないどころか、いつの何が嘘で、いつの何が真実かすら分からない。さらに、ローマインはかつて女優だったという事実が彼女の証言の信憑性を低めた。女優さんって、お芝居(嘘)、上手いもんねぇ…?
「レナードがこわかった(から警察に嘘の証言をした)んです。」というローマインの言葉など、信じようがない。
「こわかった!あなたの手で身も心も打ち砕かれたこの男が怖かったというんですか? 陪審員の皆さんにはわかると思います、あなたとレナード、どちらを信じるべきか。」
ウィルフリッドの言葉に心底頷いた自分がいた。
信じたいと思える箇所が見当たらなかった検察側の証人たちの証言に、真実を物語る物的証拠。
そちら側を疑って当然だろう。
第三に、レナードの実直さ。
フレンチさんが殺害され、警察が自分の話を聞きたがっていると知ったレナードは自ら警察に赴き、自ら供述した。
事務所でも法廷でも、何度も何度も「おばちゃんが好きだった」と訴えた。
妻であるローマインを愛し、誇りに思い、大切にしていたし、最後まで(揺るぎない物的証拠が出てきてもなお)信じていた。
「俺はやってない!」
あの叫びを信じずして、何を信じろというのか。
(自分が犯人だと分かっていながらここまで第三者に“レナードは無罪だ”と信じ込ませた小瀧望さんの細かくて大胆なお芝居… 圧巻でした…)
最後に、私たちは法廷の“陪審員”ではなく、『検察側の証人』の“観客”であったという点。
私たち観客は、陪審員には見えない部分もたくさん見てきた。
先述したとおり事務所を訪ねてきたローマインや、レナードがフレンチさんを慕うようにウィルフリッドにも叔母さんのような人がいたこと、法廷後の事務所で起こったあれそれまで。陪審員では知り得なかった情報を知らず知らずのうちにインプットしていた。
「あの人は絶対やってないんですから。」
「だって、彼はとても、いい人ですから。」
グリータのウィルフリッドへの訴えにはなんの根拠もなかったが、“そうだよな”と思わされる大きな要因だった(というか、そう思いたい自分を肯定してくれているような気がした)し、金もないのに旅行会社に海外旅行の問い合わせをした件だって、ウィルフリッドの妻もメイヒューの妻も同じようなことをして楽しむことがあるという凡例を聞いて、“なるほど特段珍しいものでもないのか”と、妙に納得させられた。
何より我々は、陪審員の知らない“あの女”の訪問を知っている。
「先生?あたしに、キスしたい?」
レナードの無罪というより、ローマインの有罪を決定づける物的証拠をウィルフリッドに恵んだ(名前も分からない謎の)女。
ウィルフリッドがどうしてこんなにも確固たる証拠をいきなり手にできたのかの理由も、どこから入手したのかも、陪審員には知り得ない。
だが我々は決定打となる証拠の入手経路も証拠提供者の境遇も知って(しまって)いる。やはりローマインは冷酷な女で、やはりレナードは愛する女に騙された可哀想な男なのだと、思い込んでしまっている。(宛先の男がどこの誰なのかも、証拠を持ち込んだ女がどこの誰なのかも、何も知らないのに。)
私たちの居た場所が法廷の傍聴席ではなく、確かな“世田谷パブリックシアターの客席”だったが故に、検察側のあれそれを知らないまま、レナード・ボウルを護ろうと必死な弁護人側の一部始終を知ってしまったが故に、〝レナードはやってない〟という先入観にいつの間にか没入していた。いや、没入させられた。
とはいえ、仮に私が本当に陪審員だったとしても、レナードの無罪を訴えただろう。ローマインはそれほど完璧な芝居を打っていた…
「私、あの人がやったと知っていましたの。」
上記で語った私が信じたレナード・ボウルは、私が信じた真実は、隅から隅まで 嘘 だった。
いや、私やウィルフリッドは、我の 主観 に囚われていたことに気づかぬまま、レナードを、主観を、信じ続けてしまった。
物理的に存在する証拠に基づいて真実を求めていたはずが、いつの間にかそこに“レナードはやってない”という主観(的願望)が介入し、最終的には目的が 真実 ではなく レナードの無罪 に代わっていた。
偉そうに「目的が“裁判に勝つこと”になってないかマイアーズ…」などと言っていたのはどこのどいつだ。目的が“裁判に勝つこと”になっていたのは貴様の方だろう…(私)
レナードは警察に連行される前も法廷でも、口の悪いところがなかったわけではない。冒頭でも述べた通り、口の悪さや冷徹さが彼の有罪を疑う3割の要素になっていたのも間違いない。けど。だけど。
「この娘はなぁ、お前より十五も若いんだよ。」
レナードは思った数倍冷徹で、思った数倍残酷な男だった。
すべてを手に入れて被っていた猫を脱ぎ捨てたレナードに、愛 などというものは存在しなかった。
刑事事件において、一度判決が確定したら同じ事件について再び審理することは許さないとする “一事不再理の原則” というものがある。(パンフレットより)
「この国では一度無罪になったら、二度と裁かれることはない。」
そんな法律すら味方につけ、ローマインを脅したレナード。
「この間何かに書いてありましたよ!
“ 法は馬鹿だ ”って!」
幕が開いてまもなく、ウィルフリッドのタイピスト グリータ がお茶目に発していた言葉が見事なまでに脳内をこだまする。
愛するレナードのために何もかもを計算し綿密な計画を立て遂行し、自ら罪を被ったローマインを私は決して肯定しないし、正しいとも思わないが、目の前で嘘のような真実が馬脚を現してもレナードは決して裁かれない。
甚だ遺憾で、酷く胸が痛んだ。
愛に生きたひとりの女性は(偽証などひとつもしていないのに)偽証罪という重罪で裁かれ、他人の誠意を容易く踏み躙るひとりの男は他人の財産で大手を振って太陽の下を歩ける世界。
法は馬鹿だ!!!(泣)
振り返れば、マッケンジーは法廷でこう証言していた。
「(フレンチさんは)“私の遺産はいちばん役に立つところにあげなくっちゃ”って、いつも言ってましたっけ。」
フレンチさんはこの意思に沿って、相応しいと判断して、相続先をレナード・ボウルに変更したというのに。
結局、フレンチさんの遺産は私利私欲に塗り固められた男の元へと相続されてしまった。
フレンチさんの意思とはまるで逆の相続先。
先述したグリータの「“法は馬鹿だ”って!」という発言は、グリータがカーターと、ある遺産争いの一件について話している時に出たものだった。
事務員の不注意なタイプミスのせいで、遺言通りの相続が認められなかったという遺産争い。
「15年も前に離婚した女のものになってしまったんだ。遺言した人の意思とはまったく逆なんだよ。」
こんなにも序盤から、レナードはフレンチさんの望んだ相続人に相応しくない人物であるという伏線が張られていたというのに____
検察側の証人たちは確かに曖昧な証言ばかりで、第三者に指摘されなければ蘇らないほど記憶が朧げだった。
しかしその曖昧さこそが真実で、真実以外の何ものでもなかった。
「私が証言することはすべて真実であり、真実のみを証言し、真実以外の何ものも証言しないことを誓います。」
検察側の証人こそが、真実だった。
「罪を犯しました。私は、有罪です。」
最後まで愛と真実に忠実だった女がついた、唯一の嘘は。
「あの人を愛したことは、一度もありません。」
自分以外の人間が何を考え何を感じているかなど、私たちの目にはうつりゃしないのだ。
2021.09.28