ここだけの話をしよう

世界が終わっても 君を終わらせないんだ

VOICE

 

 

ジャニーズWEST 濵田崇裕 主演 舞台『盗聴』を、これから観劇予定の皆さま。

 

今すぐこのブログを閉じてください。

 

今すぐ。

今すぐに、です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ覗いてる変態さん、ミッケ!!!🎶

 

 

 

 

 

 

…お願いです、閉じてください。

 

 

 

 

 

 

 

ハイ!!もう知らないヨ!?いい!?

この先に足を踏み入れたら濵田座長からの「舞台を観に来る人はネタバレを絶対に見ないで来てください」ってお願いは叶わなくなるけど、それでもいい!?!

 

 

 

 

 

 

 

 

えー、では、改めまして。

 

 

 

 

 

 

2022年11月7日13時。

舞台『盗聴』マチネ観劇。

 

脚本・演出を手掛けるは、ドラマ『正しいロックバンドの作り方』、舞台『正しいロックバンドの作り方 夏』、『証拠』,『サムシング・ニュー』MVでお馴染み、西田征史さん。

 

西田さんが、濵田崇裕を魅せてくれた。

 

私たちの愛する濵田崇裕さんを、一欠片も余すことなく、すべて、すべて魅せてくれた。

 

スベった…

変なとここだわりある…

あらお茶目…

やさし…

愛されまくってる…

 

うたっ、た…

アクション…!?

う、わ…  “闇”濵田…

 

私たちの知っている濵田さんがそこにいて、私たちの見たい濵田さんがそこにいた。

 

これ、もう当たり前になってしまっているけど、濵田さん、歌うますぎ。

翼をください』『糸』『妖怪人間ベム

低音もファルも主旋もコーラスもとても綺麗で、(濵田さんのみならず3人ともが上手くて3人のバランスが絶妙で最高で、)なんだかずっと頭の中に美声が鳴り響いている。

ドームに響いた和太鼓と同じように、なんの音も鳴っていないグローブ座に響く3人のアカペラは、どストレートに心にクる。なんの障壁もなく、どこも経由せず、ただ真っ直ぐに、歌声だけが胸に突き刺さる。

ライブに行ったって、下手したら純粋なミュージカルに行ったって聴くことはできないかもしれない濵田さんのアカペラ。本当に、綺麗だったなぁ…。

 

綺麗すぎる声の持ち主濵田さんに、いつかもう一度ミュージカルをやってほしい。

抜群の運動神経を誇る濵田さんに、いつかアクションをやってほしい。

間違いなく”いい人”なのに、毒舌や闇に引き摺り込むような表情を時折垣間見せる濵田さんに、いつか悪役をやってほしい。

 

『盗聴』というひとつの舞台で、(「悪役」とは言いたくないが、)すべての願いが叶ってしまった。

「この舞台を観ずしてオタク人生は終われない」と胸を張って言える最高舞台でした。

西田さん、ありがとう…。

 

 

 

さて、ここからは本編に触れていきたい。

濵田崇裕さんではなく、榎木田歩が生きた世界。

 

 

榎木田は、性善説を信じていた。人間はみな、生まれながらにして善である。と。

「信じるに値する人間は、居ると思うんだよ。」

あまり他人を信じようとしない健吉にそう言って、信じないことは哀しいことだと伝えていた。

そんなことを言う榎木田だからこそ、健吉にとって榎木田が数少ない“信じられる人”になっていたのは間違いないだろう。

 

「自転車って、人生そのものだと思うんだよ!」

彼氏に振られ生きる意味なんてなくなった、だから飛び降りると話す睦美に、榎木田がなんとか振り絞った言葉。

自転車は進まなきゃ立っていられない。漕ぐのをやめてしまったら倒れてしまう。だから、漕ぎ続けなきゃいけない。

それなら私は立ち止まることも休むことも許されないのかと問う睦美に、榎木田が掛けた言葉はこの世の何よりもあたたかかった。

「俺たちが補助輪になる。いくらでも休んでいい。いくらでも止まってていい。俺たちが補助輪になって支えるから。」

初対面の人のそんな言葉に命を救われた睦美もまた、その言葉を、そんな榎木田を信じていた。

 

そして、そんな榎木田と榎木田の周りにいるみんなの生活を盗聴した 私 もまた、榎木田を信じていた。

 

榎木田が盗聴撲滅隊をはじめた理由も、せっかく自分たちを頼ってくれた依頼人を放っておく訳にはいかないという想いも、仲間の恋を応援する様子も、“ 聴いて ”しまっていたから。

 

「世の中 情報を知ろうとしすぎてると思わない?」

「嘘だって、バレなきゃ嘘にならない。バレた時には責任を取らなきゃいけないけどね。」

その通りだと思ったから。そんな言葉をかけられる榎木田のことを、信頼すべき男だと思ったから。

 

なのに、それなのに、

いや。

だからこそ、健吉も、睦美も、そして私も、信じていたはずの榎木田に裏切られてしまった。

 

私たちには、聴こえなかった。

管理人が盗聴器から聴いた、かれいの電話での「仮想通貨で儲けた」という話はただの見栄で、実際のところはお金なんてなかったのと同じように、

管理人が盗聴器から聴いた、盗聴撲滅隊はかれいについての捜査をやめるという話はただのガセで、実際は榎木田が犯人を炙り出すための手がかりを作っていただけだったのと同じように。

私たちは健吉や睦美といる榎木田のすべての声を聞いていたのに、榎木田の本当の声は、最後のあの瞬間まで、聴こえなかった。

 

そもそも盗聴は、疑い を象徴している。

相手を信じることを諦めてもなおすべてを知りたがった人間が、自分に宿る相手への疑いを晴らそうとするための行為。

その疑いを晴らした先が幸なのか、不幸なのか、などというのはどうでもよくて、幸に転じればラッキー、不幸に転じれば相手を責めて自分は悲劇のヒロイン、もしくは正義のヒーローになれる。

そんな自己満足を満たすためだけの、相手を信じてあげられなかった人間の、哀れな行為でしかない。(と、私は思う。)

 

「知ろうとしすぎて」、盗聴して、そのせいで浮気が発覚して、人を殺めて。

「知ろうとしすぎて」、盗聴して、そのせいで金を奪う計画を立てて、人を殺めて。

何のための盗聴だったのか。誰のための盗聴だったのか。盗聴さえしなければ、全員が幸せなままだったかもしれないのに。

 

とはいえ、盗聴が良い方向(?)に物事を進めたこともあった。

睦美が未練を抱く元彼は、自分が家賃を払い続けるその部屋でほかの女と平気で寝て、自分のことを「クソクソつまらな女」と呼んでいた。そんな会話を盗聴したことで、自分にはいつも優しくて 彼もまだ自分と別れたことを悔いているのではなどと抱いていた希望も木っ端微塵に打ち砕かれ、おかげで睦美は元彼への思い入れを綺麗さっぱり消去できた。

健吉と睦美が慕う榎木田は、自分が元カノ(あいり)を殺した罪を管理人になすりつけて、遺書を偽造し、管理人を絞殺した。そんな一連の流れを盗聴していたことで、健吉と睦美はあいりもが行方不明な理由と、管理人は自殺ではないということ、つまり、この事件の全貌を知ることができた。

盗聴したからこそ、救われた未来があった。

(もちろん、この事件の全貌を知ることができた、ということは、榎木田が今までに何をしてきたのかのすべてを知ってしまった、ということなわけで。彼らが盗聴していなければ、榎木田はずっと彼らにとって“いい人”であり続けたわけだから、果たしてこれは救われた未来と捉えてよいものかという葛藤はあるが。)

 

結局、盗聴は 悪なのか、正義なのか。

 

この答えは、各々の倫理観に任せられてしまうほど曖昧なものかもしれない。

だけどそれでも、この舞台を観たイチ人間が無理矢理にでも答えを出すとしたら。

盗聴は、悪だ。

 

人間は誰かを傷つけないために、そして自分が傷つかないように、人の前でをつく。真実や本音は、盗聴なんかで聴こえる範囲に転がっていない。声になんか出さずに、表情にも行動にも示さずに、自分の中だけに留めているものこそ真実であり、本音。

それなのに、何かを守るための嘘を、誰にも言いたくない本音を、他人がわざわざ暴く必要ってあるのだろうか。

榎木田があいりに仕掛けた盗聴器や、管理人がかれいに仕掛けた盗聴器はもちろん、先ほどは「良い方向に物事を進めた」と述べた、睦美が元彼に仕掛けた盗聴器だって、健吉と睦美が榎木田に仕掛けた盗聴器だって、そこにあった本音や真実を知らなければ(盗聴された側がどれだけ悪いことをしているかは別として)その場で傷ついた人間は全員傷つかずに済んだかもしれない。

 

「2人の居場所を守らなきゃ、なんて言ったけど、結局は自分のためだね!(笑)」

と笑った榎木田だったが、榎木田は本気で、多分本気で、自分のせいで健吉と睦美を路頭に迷わせるわけにはいかないと思っていたはず。

(無論、そんな声は私たちには聴こえなかったので、“そんな榎木田であってほしい”という私の空想にしか過ぎないのだけれど、)

健吉と睦美は、榎木田の嘘を暴いてしまったが故に、信じられる大事な人を失い、自分たちの居場所をも失った。

(かと言ってその嘘を暴かずに、どんな理由であれ殺人を犯した人間を慕い続ける状況がふたりにとって幸せかと言われると快く首を縦に振ることはできないのもまた事実である。)

 

「僕がいなくたって大丈夫だね!ふたりともこんなに頼もしいんだから!!」

榎木田が言った本音には、「こんな状況でそんな言葉聴きたくなかった」と怒る健吉。

今しかないという状況で話した本音は、「聴きたくなかった」と閉ざされてしまう。

だとしたら、その人が自分に見せる顔以外の顔を知る必要なんて、ないんじゃないか。その人にどんな裏があったとしても、自分に見せてくれている顔を素直に受け止めれば、誰も傷つかずに済むのではないか。

なのに、信じるより先に疑い、すべてを「知ろうとしすぎて」、勝手に裏を覗いて、嘘を暴いて、勝手に傷ついて、そのことに腹を立てて目の前の人間を傷つける方が なのではないか。

 

ここから先は私個人の意見になってしまうが、

人間である以上、信じることを諦めちゃいけないと思うから。

綺麗事だと言われても、理想論だと言われても、馬鹿だと言われても。

疑って真実を暴くより、信じたけど騙されてた、の方がいいから。

誰かのためじゃなくて、自分のために、その方がいいと断言させてもらいたい。自分の気持ちが楽だから。“誰かを疑った”という罪悪感を抱かずに済むから。

 

罪悪感を背負ってまで誰かを疑い、会話を盗み聞きしようとしたって、そこに聞こえる音は単なるで、その人の本当の声は私たちには何も聴こえないんだから。

 

だから、盗聴は悪なのだ。

 

 

以上が、私が舞台『盗聴』を観て出した答えである。

 

「言ったでしょ?僕は性善説を信じてる。」

「ふたりにも信じるに値する人間が現れるから!」

結果的に榎木田は悪いことをした。人間として、やってはいけないことをした。

だけど、最後まで健吉と睦美を気にかけ、性善説を唱え続けた。

殺人という大罪を犯してもなお、榎木田は性善説を唱え続けた。

自分は信じるに値する人間にはなれなかったけれど、だけどこの世には信じるに値する人間が必ずいる、と。

誰かのせいでお姉さんが自殺に追い込まれても、誰かのせいで母親を失っても、誰かのせいで自分を見失っても。

榎木田はそれでも、「信じるに値する人間はいる」と信じた。

 

「嘘がバレた時には、責任を取らなきゃいけないから。」

彼は彼の信じた正義を、最後の最後まで貫き通した。

富も名誉も要らない男が、生涯で唯一欲したもの。それは、「悲しみのない」世界。

 

榎木田歩は、善い人だった。

彼の犯した大きすぎるひとつふたつの過ちがそんな表現を許さないかもしれないし、彼は決して正義ではない。けれど、榎木田歩は、善い人だった。

彼が撲滅したかったのは 盗聴 そのものではなくて、誰かを疑うことで誰かが悲しんだり、誰かが傷ついたりする世界。

彼自身が引き摺り込まれてしまった、闇の世界。

いつかそんな世界がなくなるように。いつか誰も彼も悲しまずに済む自由な世界が訪れるように。

彼は盗聴をはたらいた自らの命を、自らの手で、終わらせた。

榎木田歩は最後まで、盗聴撲滅隊 だった。

 

 

性善説も、睦美から教わった固め方も、お姉さんの亡くなり方も、お母さんの亡くなり方も、『翼をください』も。

何もかもが伏線だったと気づいた瞬間に背筋が凍り、目を背けたくて仕方なかった最後のシーンは今も鮮明にまぶたの裏に焼き付いてしまっている。

 

 

 

 

コノコエガキコエマスカ?

 

 

聴こえない声を求めて生きるこの世に提唱されたこの疑問文に、私は一言付け加えたい。

 

 

キコエナイナラ、ウケトルダケ。

 

 

 

2022.11.07

舞台『盗聴』マチネ公演 観劇