ここだけの話をしよう

世界が終わっても 君を終わらせないんだ

I'M A HUMAN BEING

 

 

 

2020年10月30日 13時から15時45分。

 

とんでもない2時間45分だった。

 

 

舞台『エレファント・マン』を観た。

観るに至ったのは、もちろん主演が小瀧望だったからにほかならない。

 

しかし。

 

自分が想像していたよりも、遥かにとんでもない2時間45分だった。

 

 

12月5日18時からの配信が終わった今、つらつらと私見を述べていこうと思う。

エレファント・マン』という刹那かつ永遠の作品について。

 

 

小瀧さんがエレファントマンを演じられるというお話を聞いてすぐ、エレファントマンの映画を観た。

映画を観ながら、このジョン・メリックという人物とあの小瀧望の間のギャップに戸惑い、同時にとても楽しみを募らせていた。

一目で女性の心を鷲掴みにしてしまうほどの圧倒的ルックスを誇る小瀧望が、気味悪がられ笑いものにされ、人間として認めてもらうことさえままならない奇形人間ジョン・メリックを演じる。

 

程遠い。

 

だからこそ、楽しみだった。

 

FC応募が外れ、2時間電話かけまくった一般も繋がったと思ったら販売終了で、Twitter覗いたらまさかのネットなら簡単に買えたオチだった時は鬱になりかけたほどに、楽しみだった。(おもっ)

 

 

特殊メイクを一切しない分相当キツい体勢をキープしていること、体にも内臓にも負担が大きいため その負担を軽減すべくお酒を控えていること、当時のイギリスの時代背景等まで勉強されていること。

エレファント・マンの幕が上がる前に各誌インタビューで小瀧望に語られていたそれらのおかげで、どこまで世界観を作り込んでいることは事前にわかっていた、

 

はずだった。

 

私は見くびっていたのかもしれない。小瀧望の本気を。エレファント・マン カンパニーを。まったく、私はどこまで失礼な客なのだろう。

 

 

 

ジョン・メリックがいた。

映画で観た ジョン・メリック が。

 

 

 

メリックが初めて登場するトリーブスによる講義のシーン。スクリーンには実際のメリックの写真が投影されていた。

いたって普通の青年の身体が、トリーブスの説明どおりにゆっくり、ゆっくりゆがんでいく。頭が傾き口が歪み、腕を上げては指が丸まり、脚は折れ腰が曲がる。

そこに現れた男は、つい先ほどまで同じ場所にいたはずの青年とはまるで別人だった。

 

歪みきった唇。引きずることしかできない左足。自由の効かない腕。

そして何より、重たさを感じさせる頭の傾き。喉元にも何かしらの症状があることを感じさせる声の高さ声の張り方。口元の歪み・緩みを感じさせる唾液を啜る音。呼吸器の異常を感じさせる呻き声

特殊メイクがないにもかかわらずメリックのどこにどんな奇形が生じているかがわかるものだった。

 

トリーブスの「さあ。」を合図に舞台上を一周歩くメリック。

メリックの足を引きずる音や微かな呼吸音、唸り声が無音の場内に静かに響いた。

 

視覚的に、〝小瀧望〟 が 〝ジョン・メリック〟 になった瞬間だった。

 

 

目に見えるメリックは映画で見た あのメリック だったが、人間性や人間関係、ストーリーは完全に映画と一致していたわけではない。

 

知るようで知らない、新しいエレファント・マンの世界は、私に人間として在るべき姿をより明瞭にしたように思う。

 

 

 

メリックは、他人に優しい。

 

芸が上手くできず男に怒鳴られ涙する女の子たちにも、警官が自分に罵声と拳を浴びせる姿に涙する女の子たちにも。

 

泣かないで。痛くないよ。

 

殴られているのに、絶対に痛いのに、自分の痛みよりもまず先に彼女達を心配させまいと声をかけるメリック。

そんな彼に警官はこんな醜悪な下等動物!と罵声を浴びせた。

警官とは、一体誰を何から守る職業なのだろう。

 

本当に醜悪なのは 誰だろう。

 

 

「外見でたじろぐことなどございません。」と断言したミス・サンドイッチが自分の外見に怯え飛び出していった時でさえ

 

お昼ごはん、今回は助かったね。

 

なんて言える彼を同じ“人間”として認識していた人物は、(この時はまだ)トリーヴスとハウ主教しかいなかった。

どうしてこんなにも深い優しさの持ち主が同じ“人間”として認められないのか。怯えられなければならないのか。

 

私の胸が悲鳴をあげた。

 

 

 

メリックは素直でいて、慈悲をよく知っている。

 

病院では「メリックの部屋を覗いてはいけない」という規律のもとに、理事長先生がメリックの部屋を覗いた従業員をひとり解雇した。

 

規律を守るのは自分の為、だから 幸せになれる。

 

規律を守らなかった人を処した理事長先生は慈悲深い。その証拠に今メリックが守られているとトリーブスは話すが、メリックはそのことを認めることができなかった。

なぜなら、彼には「(綺麗になることのない)床をピカピカに磨け。(綺麗になることのない)鍋を磨け。」という理不尽な規律のせいで、太鼓のように叩かれた過去があるから。

メリックが今理事長のしたことを慈悲深いと認めてしまえば、救貧院で自分を太鼓のように叩いた人をも“慈悲深い”と言わなければならない。

 

慈悲深いことがこんなに残酷なら、じゃあ正義のためにはどんなことをするんです?

 

“誰かの職を奪うことが慈悲深いと言うのなら、正義のためなら人を殺すのか” とでも言いたげなメリックのその疑問に、トリーブスはそうは言っても。それが 世の中なんだよ。と答える他なかった。

 

 

もしも私がトリーブスだったなら、彼に何を言えただろう。

「たしかにその通りだ」と言って理事長のしたことを否定した?「ならば規律を変えよう」とメリックを守る方法を変えた?それ以外の方法でメリックを守る方法はあった…?

 

それが世の中だ」。

 

そう言う他ないのかもしれない。そして私もまた、

 

ゴオン、ゴオン。ゴオン、ゴオン。ゴオン、ゴオン。

 

と嫌なものを思い出させて、守るべき彼を苦しめてしまうのかもしれない。

 

メリックは、メリックなら、どんな答えを導き出しただろう。

 

 

 

こうしてメリックはトリーヴスの規律を守りながらも、少しずつ、トリーヴスの、世の矛盾を指摘していくようになる。

 

両手を使って作ってくれればよかったのに。

 

その指摘は創造主にまで及んだ。

 

 

 

メリックを病院で保護することが決まった時、トリーヴスは理事長にこう言った。

 

出来る限り普通にしてやりたいです。

 

ところが、メリックがケンダル夫人の裸を見たと知った時、トリーヴスが放った言葉は。

 

恥ずかしいとは思わないのか?

自分の立場がわかっているのか?

やっていいこといけないことの区別がつかないのか?

 

普通にしてやりたいと言っていたのに。我々と同じようにしたいと、そう言っていたはずなのに。

“君は他の一般男性とはちがう”とさえ聞こえる怒号をあげてメリックからケンダル夫人を遠ざけたトリーヴスは、ベルギーでメリックに「こんな醜悪な下等動物!!」と罵声を浴びせた警官と何ら変わらないではないか。なるほど、だからあの警官とトリーヴスを近藤公園がひとりで演じているのか。

 

 

時が良いのか悪いのか、そんなことがあってすぐ、商売道具であるメリックを失い 生きることが厳しくなったロスがメリックのもとにやって来る。

 

今まででは考えられないほどメリックにへりくだりながら、救貧院に行くしかないと同情を買おうとしながら、再度商売道具になってくれと頼み込むロスに放ったメリックの一言が驚くほどに皮肉で、衝撃だった。

 

悪いね、ロス。それが世の中なんだよ。

 

病院に来たばかりの頃、「慈悲深いことがこんなに残酷なら、じゃあ正義のためにはどんなことをするんです?」と聞いた時、トリーヴスに言われた「そうは言っても。それが世の中なんだよ。を納得しきれなかった彼が、自分の容姿を見てただ悲鳴をあげ 嘲笑い 金を払う客ではなく、クリスマスプレゼントを贈りあう友だちや、自分を介して金儲けをしている人、契約に背き裏切る人に、自分を人間として認めてくれた人、自分の都合のいいように規律を曲げる人。いろんな人を見て、世の中を知った。

もちろんロスを追い返したメリックは間違っていないし、むしろ正しいことをしたのだけれど、世の中でことを片付けることが“普通の人間になること”なのだとしたら、普通の人間とやらの残酷さは計り知れない。

無論、トリーヴスが心から神を信じるメリックに言った「それが世の中なんだよ。」という言葉は、メリックにとって絶望に近いものがあったにちがいない。

自分を助けてくれた場所にさえ無慈悲をつきつけられてしまったのだから。

 

人が外的環境の作用とともに人格を形成し、“普通”と言われるまでになることがこんなにも非情なものだとは。

 

世の中とは、一体何なのか。

 

 

 

場面はメリックとトリーヴスがはじめて真っ向から対立したシーンに移る。

 

女性の裸を見たことがないから、知りたい。それだけの理由で、心から美しいと思う女性の裸を、初めて自分を人間として認めてくれた女性の裸を“受動的に”見たメリック。

自分は医者だから、目の前の患者の病気を治したい。それだけの理由で、愛してもいない女性の裸を“能動的に”見ているトリーヴス。

どちらも女性の裸を見たという事実は変わらないのに、どうして後者は許され前者は許されないのか。前者は人物がメリックでなければ許される行為なのか。なぜメリックは性や恋愛といったロマンスを禁じられているのか…

何をどう聞いても自分の非を認めず都合のいいように規律を捻じ曲げてしまう(まるでロスのような)トリーヴスに落胆したメリックは、抑えきれない怒りを顕にした。

 

 

 

トリーヴスはそんな自分勝手さに自身で気づいていたと同時に、メリックを見る度にそんな隠れた醜さを映し出されているような気になっていたのだろう。

 

頭を抱えながら眠りについたトリーヴスが見た夢は、メリックとトリーヴスの立場が逆の、俗に言うパラレルワールド

舞台冒頭部分のトリーヴスとメリックの出会いからの対比の世界。

理事長がロスの立場にいることも合点がいく。

このシーンで小瀧望という役者に身震いしたのは言うまでもない。小瀧望って、ひとりじゃないの…?双子か何か…?)

 

部位ごとにメリックの腫瘍や歪みを説明したトリーヴスに対し、部位ごとにトリーヴスの歪みをあげたメリック。

そうか。メリックの〝外見〟に表れた、見ただけで青ざめるほどの醜悪さは、トリーヴス、というか、普通の人間とやらの〝内面〟に秘められた 見るに堪えない醜悪さなのか。

 

そして、

 

恐ろしいことですが、これは伝染病なのです。

 

社会問題を訴えているようだった。

“普通の人間”にカテゴライズされる、外見にはなんの異常もないトリーヴスの 病気

 

自分と違う他者を認めることも、その違いを受け入れることも出来ない。まして、自分の非を認めることも、自分を変えることも出来ない。なぜなら、世界の中心は自分で、自分こそが正義だから。

だからこそ他者からの批判を気にし、自分に対峙する人には悪さえ振りかざしてしまうが、まるでそれが正義かのように「お前の為を思って…」「あなたの為に…」と味方のような振りをして自分の価値観を押しつける。

そうやって気に入らないものは遮断し、自分だけが納得できる世界を自ら作り上げてきたせいで、他者と調和することを忘れてしまった。

他者の持つ 感情 や 夢 を、簡単に踏み潰してしまうほどに。

 

メリックは、そんな人間の内的醜態を病気として、伝染病として、世間に曝した。

これはトリーヴスに限った話ではなく、世の中を生きる多くの人間に共通する話なのだ。

 

成長するにつれ他人を知り、狡い大人や酷い裏切りを知り、結局自分を守れるのは自分自身しかいないことに気づいた人間は、自己中心の世界で自分の正義だけを信じて生きる。

そんな人間が大人になり社会に出て、そんな大人を見た人間もまた自己中心の世界で自分を守ろうとする…。文字通り、伝染病と言うに相応しい。

西に東に、世界中に蔓延していったこの病気は、もはやとどまることを知らず、トリーヴスが生きた時代から約130年経った現在にも私たちの身近に潜んでいる。

時代が進み、こんなにも物資・技術は発達したというのに、我々人間はそんな恐ろしい病気にかかっていることにさえ気づけない。

 

どこまで愚かで、醜いのだろう。

どこまで歪んだ世界なのだろう。

 

メリックが浴びてきた罵声が、頭のなかにこだまする。

 

 

メリックの醜さを嘲笑い、蔑んだ民の内面がどんなに醜いか。

逆に、最初から同じ人間としてメリックと触れ合った民の内面は、どんなに美しいか。

 

メリックは人間の内面を映し出すだった。

 

 

 

これは人の成長をテーマにしたたとえ話なんでしょうか。

普通になるっていうのは死ぬことなのか。

世間に受け入れられるっていうのは悪くなることなのか。

 

トリーヴスは、気づいていた。

錯乱しているように見えて、彼はメリックを介して自身の醜さやこの世の矛盾に気づいていた。

メリックをどうしてやることもできない無力さに気づき、苦しんでいた。

 

 

 

 

昼食を持ってきたスノークがメリックの部屋を出ていったあと、ほんの少しだけ見えたメリックの日常。

メリックの呼吸音や足音が苦しいほどに聞こえてしまう場内の静寂に、私は涙を堪えることができなかった。

 

どこまでも孤独なジョン・メリックの、最期の言葉は。

 

まぐれ当たり?

 

メリックは見世物小屋にいては一生関われなかった世界に触れた。普通の人間と同じように家を手に入れ、友だちもでき、夢も見た。叶いそうで叶わない、たくさんの夢を。

普通の人間になりたい”。

そんな、大きな夢も。

 

自分の頭がこんなに大きいのは、夢が詰まりすぎてるんじゃないかって思います。

だって、そうなんです。

夢が頭から出られなくなったら何が起きるか知ってます?

 

ケンダル夫人に初めて会った時メリックが発したあの疑問の答えが、こんなところで見つかった。

夢が頭から出られなくなったら。

その夢たちは重くなって、貴方の命を____

 

メリックは決して自ら横たわったわけではない。

散歩ではなく睡眠を選び、いつものように膝を折って眠りについただけ。決して、決して自ら命を絶ったわけではなく、たまたま偶然、その時ジョン・メリックというひとりの男性の命の火が消えた。

「たまたま、運命の気まぐれで美人に生まれただけ、本当の意味では役に立たないの」と言ったケンダル夫人と引き裂かれたメリックは、運命の気まぐれに命まで奪われた。

 

エレファント・マンが死んでる!

 

トリーヴスはメリックが死ぬとき、こんな非情な男にいてほしくてケンダル夫人とメリックを引き裂いたわけじゃないのに。

普通の人間を夢見たメリック。そんな夢に普通の人間のように眠らされ、永遠の眠りについてしまったメリック。やっと。命を懸けて、やっと普通の人間になれたというのに。

最期彼のそばにいた人間は、最初から最期まで彼を人間として見ていなかった。

 

 

 

一つありました、小さなことなんですが。

 

理事長がしたためたジョン・メリックの生涯。

投資家たちにとっては、メリックの名前すら正しく言えない、メリックを資金源としてしか見ていなかった彼がしたためたそれが事実になってしまうのだから残酷だ。

理事長よりずっとそばで彼を見ていたトリーヴスが、最後に付け足そうとした 一つ とは何だったのだろうか。

 

模型を完成させたこと?天国を信じていたこと?“普通の男”だったこと?

 

きっとトリーヴスの言う“小さなこと”は、メリックにとっては大きなことで。

そうわかっていたはずなのに、トリーヴスに余計なことを付け加えさせなかった理事長と、理事長に抗ってでもジョン・メリックという男を知ってもらおうとしなかったトリーヴス。

 

最後までこの世は冷酷だった。

 

この世に救いの手がないのならせめて、永遠という至福の時間の中でジョン・メリックとして安らかに眠ってほしい。頼む。頼むよ神様。

 

 

実際自分がジョン・メリックに関わることがあったとしたら、どんな風に接していただろう。

泣いてしまうだろうか。生唾を飲んでしまうだろうか。喚き散らかしてしまうだろうか。

いくら自己分析をしたところでそんなのは机上の空論でしかないけれど、いつかどこかでジョン・メリックに出会った時、「お知り合いになれて嬉しゅうございます。本当に。」そう言って手を差し出せる人間でいたい。普通の人間。普通の女。

 

 

自分勝手で横暴で、無知で残酷な人間に溢れたこの世界で、ジョン・メリックという男は慈悲深く素直で、知的かつ繊細で、に満ちた、誰よりも 美しい人間 だった。

 

 

 

 

大丈夫、大丈夫。

 

叶うなら、ジョン・メリックにそんな言葉を届けたい。

 

 

 

 

 

2020.12.07

(※引用元:『悲劇喜劇』 2020年11月号 P100~129)